たまたま近所で「お金」がテーマのワークショップが開催されていたのを見つけ、社会調査の一環として、妻と息子と三人で参加してみました。
参加者はキッズから年配の方まで15人程度。男女比半々。内容は、「自分がもし24歳で月の手取りが17万円しかなかったら何にお金を使うか」を紙に書き出し、発表していくというもの。
終始わきあいあいとしていて和やかなムードで、みんな生後三ヶ月の息子を可愛がってくれました。暖かい人達です。
ただ、彼らが口にするお金に対する考え方は、僕が想像していたものとは全く異なっていました。できれば息子の耳には入れたくなかったほどに。
お金もないのに貯金しようとするヤバさ
ワークショップでみんなが「最も譲れないお金の使い道」を発表していく中で、驚いたことが一つだけあります。
それは、ほぼ全員がまず「預貯金」と答えたことです。逆に、真っ先に預貯金枠をゼロにしたのは僕と妻だけでした。これは色々と終わってるなあと。
そもそも手取りがたった17万円しかないことがヤバいわけです。何としてでも早急に稼げる状況を作らないと永遠に貧困生活が続くというのに、貯金になんてお金を回してる場合じゃないでしょ。投資しないと。
お金がない時ほど、お金を貯めちゃいけないんですよ。現状から脱却できないから。そんなの誰に教えられなくても当たり前のことだと思うんですけどねえ。。
僕が20代前半の頃はというと
僕は20代前半の頃、リアル手取り17万円でしたが、口座残高が30万円超えてたことなんてほとんどありませんでした。最低限のお金だけいつでも引き出せる状態にしておいて、後は全部セミナー参加費などに使ってました。
今思えば無駄なセミナーも沢山出てたし、アホなお金の使い方もしてたと思いますが、それでもただ銀行に預けてるだけよりははるかに有意義な使い方ができたと思います。
今僕がブログで書いてるようなオピニオンは全てその頃の投資によって醸成されたものですからね。このブログが毎月稼いでくれている金額を考慮すると、レバレッジ死ぬほど効いてます。
20代なら体力もあるし、老人みたいに突然体調崩して入院とかしないので、生活費にバッファを持たせておく必要もありません。
将来のためにお金を残しておきたいなら、将来のために十分なお金を毎月残せる経済力を身につけてから残せばいいんです。そしてその経済力を身につけるためにお金を使うんです。僕はそんなことを考えながら20代の中頃まで貧乏やってました。
ちなみに、僕みたいなセミナー厨になれって言ってるんじゃないですよ。今だったらyoutubeに動画投稿するためにスペックの高いPCを買うとか、ブログのネタにするためにビットコイン買うとかでもいいんじゃないですか。投資の形は人ぞれぞれです。
与えられた収入の枠内でしか物事を考えられない怖さ
おそらく、預貯金枠を意地でもキープしようとする彼らは、「自分は決して今以上に豊かにはなれない」と思ってしまっています。
僕や妻の場合、蓄財について考える前に、まずはいかに今より大きく稼げる環境を整えるかについて考えます。「未来の自分は今の自分より豊かだ」という前提に立っているので、考えるべきテーマに優先順位をつけることができるんですよ。
ところが、「自分は今以上に豊かにならない」という前提に立つ人間は、全ての願望を固定化された収入の枠内で考えざるを得ないため、優先順位をつけることができないんです。だからこそ、蓄財したいなら今蓄財しないといけない。「稼げてから貯めよ」は成立しない。稼げるようにはならないから。
彼らが預貯金にこだわるのは、収入は自分でコントロールできないと思い込んでるからです。これが本質でしょう。
そして、これって結構恐ろしい話だなと。個人が小規模にお金を稼ぐためのプラットフォームなんて今無数にあるのに、その存在に気づけないか、気づいていたとしても自分ごとにならないということですからね。
さいごに:お金の話を他人とすると子供の教育に悪い
まだ息子が生後三ヶ月で何もわかってなさそうだからよかったものの、今後息子にこれらの価値観をインストールしてしまうのはまずいなと思いました。みんな良い人なんですよ。ただ、お金に対する考え方だけがヤバい。
妻と話して、とりあえず息子の教育に悪そうなので今後この手のワークショップへの参加はやめておこうという話になりました。
「子供がいる前で他人とお金の話をするのは子供の教育に悪い」というのは僕は嘘だと思ってたんですよ。小さい頃からお金とは何なのかをしっかり子供に伝えていかないと、金融リテラシー貧弱な典型的日本人に育ってしまうから。
ところが今回の一件で、息子がいる前でお金の話をするにも、話をする相手は選ばないとなと反省した僕でした。