僕が貧乏人と関わりたくない本当の理由

僕は常々、貧乏人とはできれば関わらず生きていきたいと思っていますが、僕が思う「貧乏人」はあなたが思うそれとは違うかもしれません。

今日は、僕が関わりたくない貧乏人についてまとめてみました。自分のことだと思う方は僕のTwitterをそっとブロックして、僕と遠いところで静かに生きてくれると嬉しいです。

間違っても、クソリプを飛ばすなんて貧乏くさいマネはやめてくださいね。

僕の貧乏人の定義

僕が関わりたくないのは、いま貧乏な人達ではなく、貧乏から脱出しようと1ミリも思ってない人達です。僕の貧乏人の定義はまさにそれ。理想を失った人。つまり、何もしない何も考えない何も目指さない人。貯金があるかないかは問題ではありません。

彼らは僕の人生に何の変化ももたらしてくれないんですよ。なぜなら、豊かになろうとしていない人は、他人に何かを与えようと思っていない人だから。彼らと関わるメリットが限りなく薄いことは明白です。

もちろん、彼らの生き方を否定するつもりはありませんよ。誰かから何かを分け与えてもらうだけの人生、悪くないじゃないですか。日本ならそれが可能だし。ただ僕とは関わらないで頂きたいというだけの話です。めんどくさいから。

「ほどほどそこそこ」という病

20代でお金を沢山持ってる人なんてほぼほぼいません。大卒で一部上場企業に就職しても手取り20万円を切るなんてザラです。僕もそうだったし。

彼らは「ワーキングプア」と呼ばれますが、厄介なのは、それでもギリギリ生きていけてしまうことです。ボーナスや家賃補助、そして毎年気休め程度に増えていく給料が彼らの生活を底支えすると同時に、会社への依存度を高めることに貢献しています。

このような状況に置かれた個人が野心を失うことは想像に難くないでしょう。そこに、「足るを知るべき」「身の丈にあった生活をすべき」といった社会的洗脳が追い打ちをかけることで、豊かさを追求しない人生がはじまります。

僕はこれを「ほどほどそこそこ病」と呼んでいます。文字通り、ほどほどそこそこで満足してしまう病気。

これを患った人はどれだけ貧しかろうが、決して現状を変えようとしません。いやむしろ、自分たちが貧しいとさえ思っていないのかもしれません。そう、この病には自覚症状がないのです。

まあ、自覚症状がないまま寿命を全うできるので、致命的なものではないのですが、大変な機会損失はもたらすでしょうね。

僕は新卒で入社した会社を11ヶ月で辞めてますが、そのまま働いてたら確実にこの病気にかかり、今でも自分のことで精一杯の生活を送ってただろうなと思います。おそろしい。

さいごに:救いの手は差しのべてやらない

「ほどほどそこそこ病」は日本で普通に生きてたら大体の人がかかってしまいます。サラリーマンの80%くらいは患ってるんじゃないですか。

サラリーマンで副業をやってるのは5人中1人だけというデータもありますからね。5人中4人は現状に満足しきってるんでしょう。ちなみに、「やりたいけどうちは会社が副業禁止だから」などと言い訳する人も漏れなく現状に満足してます。本当にやりたかったらバレないようにやるわっていう。

僕は「ほどほどそこそこ病」は現代における社会病理の一つであると勝手に思ってるのですが、もちろんこの病を社会から廃絶しようなどとは思っていません。

そもそも、「ほどほどそこそこ病」の人達は現状に満足してるので、僕が必死に「お前ら、気づけ!」と言ったところでウザいだけでしょ。本人が病気を自覚して救いを求めてきたら考えるけど。

貧しい人が貧しいままでいようが、僕には特に関係ありません。良き人生を。僕はただ彼らと関わらなくてすむようにこのような記事を書いてるだけです。

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