嫁と散歩中に、「真っ黒いスーツに髪を後ろでまとめたベージュのコートを着ている女子就活生を多く見つけたもの勝ちゲーム」やってたら、30分で30匹くらいみつけた。
— やまもとりゅうけん (@ryukke) 2017年4月1日
臨月の嫁と近所を散歩してたんですが、ただ散歩するだけだと面白くないので、「真っ黒いスーツに髪を後ろでまとめたベージュのコートを着ている女子就活生を多く見つけたもの勝ちゲーム」をやるじゃないですか。そしたら、30分で30匹くらい見つけちゃったんですよね。
全く同じ格好している人がそれくらいの頻度で登場したら普通は不安になりますよね。タワーマンションで開催される飲み会に参加したらみんな同じサプリメント飲んでるのを見た時くらいのレベルで。
別に一般的な女子就活生を批判したいわけじゃないんですが、この宗教じみた風潮がここ10年間全く変わっていないことをただただ恐ろしく感じるんですよ。
今日はこの固定化された社会に対して、思うところを書いてみました。
8年前、僕らはこうなると思っていなかった。
僕が就職活動を頑張っていたのは、今から8年ほど前の大就職氷河期。もちろん周りのみんなは喪服みたいな格好で就職活動をしていました。
当時僕は、「自分が思う3年後のスタンダードを軸に行動する」というのを考えていて、「3年後はさすがにこの喪服信仰文化は終わるだろ」という予想の元、グレーやネイビーのスーツにそこまで落ち着いた色味ではないネクタイで就職活動をしていました。たかが服装が原因で不採用になったりしないことは知ってたし。
ところが、それから3年経ってもみんな一向に喪服を脱がないわけですよ。この移り変わりの激しい時代にですよ。それどころかもうそろそろ10年経つのに、僕が就職活動やってた頃と全く変わらない光景が目の前に広がっている。これって恐ろしくないですか。
というか、企業の人事とかって、面接に全く同じ格好の人が何度もやってきて吹き出しそうにならないんですかね。僕だったら、「はい、次の方どうぞー。」っていって入ってきた人が前の人と全く同じ格好だったら笑うけどな。
なぜか「無難」は「個性」に先立つ。
当たり前ですけど、就活の面接なんてほとんど第一印象で決まるじゃないですか。だから、学生が一番コストをかけるべきは第一印象の改善なわけです。面接対策術なんかより、スーツ着こなし術読んでた方が幾分マシっていう。
にもかかわらず、固定化された服装に自らを寄せていく不思議。差がつかなくなるじゃないですか。そんなに中身で勝負したいの?そんなに中身に自信があるの?
おそらく、就活生にとっては「無難」であることが何より重要なんですよね。「無難」を押さえた上で、いかに個性を発揮できるかが就職活動だと思ってる。
でも、無難に個性を表現するって難しいよ。だって、喪服着ながら、「自分は創造性のある人間です!」とか「自分はチャレンジ精神のある人間です!」なんて言っても説得力ないじゃないですか。しまむらの謎の英字プリントTシャツ着ながら、「ぼくオシャレに自信があります!」って言ってるようなもんでしょ。
まさか人事側も、そんな矛盾を看過してないよね。
「自分は無個性なので御社に入社したら御社にいくらでも染められます!」って社畜アピールするなら、その服装は一貫性があっていいけど、そういうつもりでもないわけじゃないですか。
よくわからないよね。
おそらくずっと無難な社会は続く
喪服着てる本人達も思考停止してるつもりはないんですよ。むしろ、戦略的に「無難」を選んでるんだぜ感すらある。驚くべきことに、「無駄に敵を作らないためにやってるんだ」って彼らは主張しますからね。
おそらく、採用される側も採用する側も矛盾に満ちていて、誰もつっこめなくなってる状態だと思うんですよね。このように双方の合意の元、頭のおかしい社会が形成されている以上、まだまだこの変な習慣って続くんだろうなって思った次第でした。