高校生Youtuberの桐崎栄二くんをご存知ですか。総動画再生回数は3億回以上、チャンネル登録者数は120万人超。現在最も勢いのあるYoutuberです。僕も彼の大ファンで、暇さえあればめっちゃ動画視てます。
Youtuberと言えば、ただくだらない遊びをハイテンションに撮影してるだけと思ってる方も多いと思います。確かにそのようなYoutuberも多いのですが、彼はその限りではありません。彼の動画は、一見バカっぽいんですが、発信者として次世代を勝ち残るためのエッセンスが詰まりまくっているんですよ。
僕はブロガーであり、活字を使って情報発信をしています。かたや彼らYoutuberは映像を主軸としており、全く戦い方は変わってくるのですが、「発信者」という大きな枠で両者を捉えた時、彼らのスタイルから非常に学ぶことが多いことがわかりました。
今回は、Youtuber「桐崎栄二」から学ぶ、次世代の発信者のあり方について語っていきたいと思います。ブロガーこそ、Youtubeもっと視るべき!
人間関係をコンテンツに変換すること
桐崎栄二くんの動画には、いつも彼の家族が登場します。可愛い妹、面白いお父さん、美人なお母さん、そして、お爺ちゃんとお婆ちゃんまで。
それぞれ物凄くキャラが立ってて魅力的なんですが、何より桐崎栄二くんを中心としたその人間関係が絶妙に面白いんですよ。特に、兄と妹の距離感がすごくいい。
彼の動画の個性はまさにこの「家族関係」にあるんですよね。
発信者としての自分の価値を、自分と関わりのある人物や環境から表現していくというあり方。僕はこれは素晴らしく未来的だと思っています。
その人の持っている人間関係というのは、最も他人にはマネのできない、唯一無二の個性なんですよ。それをコンテンツに変換できれば、誰にも再現不可能な価値を提供することができる。それ故に、彼の動画は「絶対的」に面白いのです。
エモさをどう表現するか
複数人でチームを組んで動画を作っているYoutuberは実は結構いて、彼らも仲間同士のやりとりをコンテンツにしているのですが、桐崎栄二くんの動画はまたそれとも一線を画しているんですよね。
というのも、彼の動画にはノスタルジーがあるんですよ。彼がチャンネル登録者数120万人という驚異的な数値を記録しているのも、そのリアルなホームコメディが持つ、独特の「エモさ」によるものが大きいと思っています。
石川県の片田舎の一軒家(二世帯住宅)で、騒がしくも仲の良い家族。血縁関係にある彼らが醸し出す空気感にはどことなく懐かしさがあって、面白いんだけど感傷的にもなる。
彼は中高生に人気のあるYoutuberですが、実は一番ハマるのは、僕と同世代で社会で絶賛消耗中のアラサーだと思います。郷愁感に煽られてチャンネル登録しちゃうこと間違いなし。
僕らブロガーは、「価値のある情報」=「学びのある情報」と捉え、お役立ち情報をガンガン発信することは得意ですが、その分「エモさ」を軽視してしまいがちです。だけど、それでは「ファン」はつかないんですよね。
多くの人がコンテンツに対して価値を感じるのは「心を動かされた時」なんですよ。ブログでは、叙情的な表現を多用したり、辛辣な言葉で議論を巻き起こすのもエモさです。いかに、読者の心に言葉を突き刺していくか。これは、ブロガーが生き残っていくためには常に考えていくべきテーマでもあります。
ストーリーをメタで生み出す
また、彼は過去に動画撮影の際、公共機関での迷惑行為を行ってしまったことから学校と揉めており、それが原因で一度Youtuberを引退しています。数ヶ月の謹慎を経て、現在は復活を遂げましたが、そのドラマ性も動画の魅力となっています。
意識しているかどうかはわかりませんが、彼はコンテンツのドラマ性をコンテンツの外で生み出しているんですよ。「学校を辞めるかYoutuberを辞めるか」という苦渋の選択を乗り越えたという事実そのものが、動画に説得力を与えています。(※結局、学校も辞めることなくYoutuberを再開できたそうです。)
ブロガーでも、会社辞めます宣言をしたり、新卒フリーランス宣言をしたりするとバズりやすくなるのは、コンテンツの外のメタな自分がコンテンツに「エモさ」という力を分け与えているからなんですよね。そして、この手法は、発信者にとって今後さらに重要視されていくものであると僕は思っています。
「腹を括ってるやつが言ってること」として、受信者は認識するので、説得力が段違いになるからです。次世代の発信者に問われているのは、コンテンツの内容以上に、リアルな自分がどう立ち振る舞っていくかではないでしょうか。
個人と個人の関係性の時代
SNSの台頭でマスメディアの影響力が相対的に弱くなって、よく「これからは個人の時代だ」なんて言われてるじゃないですか。僕もこれには全面的に肯定していて、8年前、大学2年生の頃にニコ動に動画をアップロードし始めたのも、そういったパラダイムシフトをそこはかとなく感じたからでした。
だけど、ただ本当の意味で個人が発揮できる価値はちっぽけなんですよね。ギャグが面白いとか、歌がうまいとか、毒舌だとか、それも立派な価値ではあるけど、代わりがいくらでも効くものです。つまり、すぐに飽きられる。
去年は子供に大人気だった芸人が全くテレビで観なくなったと思えば、似たような芸風の別の芸人がその枠にすっぽりハマってるなんてのは沢山ありますよね。それだけ個人の価値というのは儚く、すぐに代替されてしまうものなのです。何なら、未来では機械によってすら取って代わられてるかもしれない。
僕は、本当の個人の価値は、親しい他人の価値を自分の価値に変換できることだと思うんですよ。まさに、桐崎栄二くんと彼の家族のように。彼らが創り出す価値は誰にもマネできない、誰にも侵せない領域にある。
他人の魅力を引き出し、それを自分との関係性の中でみせていくこと。これが次世代に求められる個人のあり方なんだと感じています。
僕も時々、「うちのヤバい嫁」をブログに登場させていますが、まだまだ彼女の面白さを引き出せていないなあと反省。